現代は、(1) 時間がどんどん加速されているとも言われます。何事にも「早 く、早く」とせかされ(注1)、時間と競争するかのように忙しさに追われていることを、大人たちはこういう言い方をしているのです。いつも同じ速さで時間 が流れているはずなのに、時間の間隔(かんかく)が短くなったような気分で追い立てられて(注2)いるためでしょう。それをエンデ(注3)は『モモ』とい う作品の中で「時間どろぼう」と呼びました。ゆっくり花を見たり音楽を楽しんだりする、そんなゆったりした時間が盗まれていく、という話でした。(2) いつも何かしていないと気が落ち着かない、現代人はそんなふうになっています。
その一つの原因は、世の中が便利になり、能率的になって、より早く仕事を仕上げることがより優れていると評価されるようになっているためと思われます。競 争が激しくなって、人より早くしなければ負けてしまうという恐れを心に抱くようになったためでしょう。「時間は金なり」となってしまったのです。
しかし、それでは心が貧しくなってしまいそうです。何も考えずにひたすら決められたことをしていて人生が楽しいはずがありません。ゆっくり歩むからこそ、 道ばたに咲く花に気づいたり、きれいな夕日を楽しむ気分になれるのです。私たちは、時間を取り返し、もっとゆったりした時間を生きる必要がありそうです ね。
(池内了『時間とは何か』による)
(注1) せかされる:急がされる (注2) 追い立てられる:ここでは、何かをしないではいられない気持ちにさせられる (注3) エンデ:ドイツの児童文学者
会社勤めの生活は楽だった。
楽しくはないが、楽だった。
ずっと一人で生きてきた後で、集団に入ってみると、その居心地(いごこち)の良さ、安楽さに驚くのである。一人の時は、朝目覚めて寝るまで「何をすべき か」という判断、決定を自分でしなければならない。つまり、それを「自由」というのだが、実力のない者には自由は重すぎる。一日中、選択(せんたく)と決 断をし、その結果を自分一人でひき受けねばならない。