三匹の猫を飼っている。猫にはとにかく驚かされることばかりだ。こちらの精神状態がよければ彼らは限りなくリラックスし、外出すが続いて忙しくてか まってあげられなくなったりすると、途端にグレてわるさをする。いらいらしている時は、わざとわたしの足を踏んづけて歩いたりもする。押入れからバック バックを取り出して旅行の準備をし始めると、不機嫌になって、一晩家出をしたり抗議のハンストをしたりする。わたしの状態や行動に座即に反応を示す。猫の 立場に立って、そこから見える世界を想像してみると、自分が見ている世界のあやふやさがあぶり出されることがある。
ある日、ライオンの子育て番組を見ていた時のことだ。画面にはしまうまを襲ったライオンが肉を食いちぎっているシーンが映し出されていたが、二匹の猫はテレビの前に寝そべり、映像には目もくれず、互いの体を舐めあっていた。
彼らは時としてテレビに敏感に反応する。テレビで生まれたばかりの仔猫の様子を映していた時、出産経験のある「うるるる」と鳴き、テレビの後ろへ仔 猫を探しに行った。時々小鳥やねずみを手土産に持ち帰る狩りの名手、「ゆき」は、画面が鳥の群れを映し出した途端、テレビに飛びついて鳥を捕まえようとし た。しかしオリンピックの時には斜面を猛スピードで降りてくる滑降の選手に飛びついていたし、サッカーの試合を見ている時は右へ左へ転がるボールを選手と 一緒に追いかけていたから、あまり物事を深く考えて行動しているわけではなさそうだ。
そんな彼らが、百獣の王であり、自分と同じ科に属するライオンの声や映像にはまったく反応を示さない。それがわたしにはとても _______ に映った。
彼らは、地上にライオンという動物が存在することを知らないのだ。ライオンも象もパンダも猿も知らない。会ったことがないのだから。自転車と自動車 は知っているが、電車や飛行機、船は知らない。まして戦闘機など。世界には海や山や山があることも、そして海の向こうには外国、空の向こうには宇宙が広 がっていることも知らない。
でもわたしは本当にそれを知っているのだろうか。
わたしがもし「ライオンを知らない」といったら、多くの人がへんな顔をするだろう。いつ、どのように自分がライオンを認識するようになったのか、残 念ながら記憶にない。おそらく最初は絵か写真で姿形を見せられ、実際に動物園で本物を見て認識に到達したのだと思う。つまりわたしは学習して情報を持つが ゆえに、「ライオンを知っている」と錯覚してるだけだ。
わたしはライオンを知らない。イラクで毎日人が死んでいることも知らない。
知っているのは、目の前で寝る猫達が愛らしいということだけだ。