混み合ったコンパの席で友人と話をしているとき、耳に入ってくるのは友人の声だけではない。周囲で交わされる会話や食器のぶつかる音があり、BGM さえ流れている。そんな喧噪(けんそう)の中でも、友人の話に耳を傾け、その内容を理解することが可能である。このような例をあげるまでもなく、私たちの耳には通常たくさんの情報が同時に入力されている。それでも私たちが混乱しないのは、注意を選択的に振り分ける選択的注意ができるからである。注意を向けられた情報は深い処理を受け、そこで初めて理解されることになる。

しかし処理されているのは注意を向けられた情報だけではない。友人の話に耳を傾けていても、BGM がピアノからギターに変われば、その音色の変化に気づくし、他の人から自分の名前を呼ばれたことにも気づく。この場合の情報処理は、意図的な制御を受けな い自動的処理である。ここでは情報の物理的な特徴(声の質、口笛などの信号、名前など)が処理され、情報内容の深い理解は伴わない。これに対して、喧噪の 中で友人の話が理解できるのは、注意的処理とよばれ、情報処理の意図的な制御を行っている。注意的処理では、記憶構造内の知識が検索され、情報の深い理解 を可能にしているのである。

1. そんな喧噪の中でも、友人の話に耳を傾け、その内容を理解することが可能であるというのは、なぜか。




2. 深い処理を文章中の別の言葉で言い換えると何か。




3. 自動的処理の例はどれか。




人間の潜在力をONにするには、プラス発想や積極思考など前向きの精神状態や心の持ち方が大きく作用しているといいます。思いの力がわたしたちの可能性をおおいに広げてくれるということが、遺伝子レベルで解明されはじめているわけです。
_______、どれくらいのことが人間に可能なのか。人間の頭で、これをしたい、こうあってほしいと考えられるようなことは、遺伝子レベルでみれば、 たいてい可能な範囲にあるそうです。つまり、「思ったことはかなえられる」能力が、わたしたちの中には潜在しているのです。
4. 文の _______ に入る最も適当なものはどれか。




ちかごろ、速読術などという言葉、その訓練の方法の話をきくと、古風な人間である私はカッとなる。そういう習練をする暇があったら一本をよむにこしたこと はない。つまらない本に時間をかけるのは愚かなことだし、丹念によまねばならぬ本をすばやくよむのは、さらに愚かなことだ。そういう差別は種々の本を読むことによってしか覚えられぬものであろう。
5. そういう差別とはどんな差別か。




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