しばらく仕事で地方に住んでいて5年ぶりに東京に帰ってきました。生まれた育った地方ですが、東京という街は5年も留守にするとまるで別の土地に迷い込んだようです。卒業した小学校は高齢向けは施設に、駅前の喫茶店はコンビにに、広い庭のあった古い家はマンションに、商店街からも肉屋さんや魚屋さんが姿を消し、新しいスーパーが二つできました。たしかに、以前よりずっと便利です。駅が地下になって、上は公園です。車がすれ違うのがやっとだった道も広くなりました。でも、私はなくなってしまった鶏肉専門の肉屋さんの焼き鳥(*)の味がなつかしいです。肉屋のおばさんの笑顔にももう会えません。

 

(*)焼き鳥:鶏肉を小さく切ってくしに刺し、しょうゆや塩などで味をつけて焼いたもの

1.

筆者は東京が変わっていくことをどう思っているか。





人と人はおたがいの関係によってちょうどよい距離を取っています。それが同じ文化的背景を持った人ではあまり問題のならないのですが、異文化の場合、心理的な障害(しょうがい)(*)になることがあります。どの文化でも初対面の人同土では親しい人より距離を取る傾向があります。それでも、もともと相手と遠めに距離を取る文化に属する人Aが、より近づくことで親しさを示そうとする文化に属する人Bと対面したとき、相手との距離が十分でないと不快に感じます。Bは近づこうとすると相手が離れるため、やはり不快に感じます。

 

(*)障害:じゃまになるもの

2.

筆者によると、文化的な背景が異なる人々が初めて会ったとき、どんな問題があるか。





40年くらい前のことです。結婚してすぐ、引っ越してきた人のため市民講座(しみんこうざ)(*)に参加しました。その日のテーマは「捨てられないもの」でした。最近に一人の中年の主婦が「手紙と写真」と答えました。ほとんどの人がうなすぎました。順番が来て、私が「何もないです」といったら、驚かれました。でも、私は夫の住む土地で新しい生活を始めたばかりで、手紙は読み終わったら捨てしまった、カメラがないので写真もありませんでした。それが今は「捨てられないもの」がいろいろあります。「手紙と写真」もそうです。今の私は、孫が3人いるおばあちゃんで、娘に「古いものはもう整理してよ」といわれています。

 

(*)市民講座(しみんこうざ):市が住民に生活に役立つ情報や、学習の機会を提供するもの

3. 筆者は、なぜ「手紙と写真」が捨てられなくなったのか。




医寮の現場ではとりあえず15歳以下を子供として扱い、小児科(しょうにか)(*1)の診察対象としている。おおざっぱに、中学生まではまだ子供ということだ。

内科医だったぼくの経験から言えば、中学生はたしかに子供だと思う(いろんな意味で)が、こと病気に関するかぎり、ほとんど内科的な考え方で診療できる。小学生も、高学年ならなんとかなる。低学年も、やや苦しいところはあるが、まあ、なんとかなる。あ手上げなのは乳児(生後(せいご)(*2)一年未満の赤ん坊)だ。これは恐くて手が出せない。

                             (氷井明 [もしも病気になったら]石波書店)

(*1)小児科(しょうにか):15歳以下の子供の病気を専門にあつかう医寮

(*)生後(せいご):生まれた後

4.

筆者は、内科医だった経験からこの文章を書いている。病気になったとき、内科ではなく、小児科に行かなければならないのはどんな子供か。





ある有名な野球監督が、現役中(*1)少なくともゲーム中には、実に無表情で誰に対してもニコリともしないということで、有名だったそうです。それが引退してから、ある新聞記者の問いに答えて、ある人間に笑顔を見せたということになると、その人には楽しみを持っているけれども他の人間にはそうではないということの表示になる、だから自分は、現役のあいだは、選手の個々と常に全部同じ距離を持っているということを示すために、表情を変えなかったんだということを言ったそうです。

これは管理という行為を見事にあらわしているエピソード(*2)だと思いますが、人と人とがふれ合って理解していくことを殺する作業であることははっきりしています。そこでは部下の“性格”理解は支配し操作する技術の一部となる。そればかりか、管理のため行為のくり返しが、管理者の性格を限定し作り出していく。

 

                                      (竹内枚晴         「からだが語る言葉評価者)

(*1)現役中:仕事をしている間

(*2)エピソード: 話

5.

筆者は、「管理」とはどういう作業だと言っているか。





(ほが)らかにふるまっている自分の(そと)づら(*1)とちががって、内づら(*2)では死ということを常に考えている証拠に、死についての夢をよく見ます。このごろはどうしてだか新幹線に乗る夢をよく見ます。私は死という駅へ行く新幹線の切符を買っているんですが、この切符を持って改札口を通ってしまった。もう①こっちへは戻れません、と書いた立て札があるのに、うっかり改札口を通ってしまって、あっ、この汽車で②あっちへ行っちゃうのかと思うんですね。その時の気持ちは何ともいえませんよ。

                             (遠藤周作「死について考える」光文社)

(*1)外づら:他人に対する程度

(*2)内づら:自分の心の中

6.

  こっち、②あっちとあるのは、ここではそれぞれ何を意味しているか。





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