いい文章はそれを読む者に充実した時間を作り出す。知識が人を喜ばせる必要はない。技巧が人を楽しませる必要はない。人を利口にし、快く酔わせるよりも、それを読んで本当によかったと思わせる文章を書こう。

文章にとって何よりも大事なのは、すぐれた内容としてそのまま相手に伝わることである。したがって、いい文章には「いい内容」と「いい表現」という二つの側面がある。

どれほど凝った多彩な表現が繰り広げられても、その奥にある内容がつまらなければ、文章全体として価値が低い。それでは、いい内容はどのようにして 生まれるのだろうか。すぐれた内容を生み出す特定の手段のようなものは考えられない。小手先の技術といったものは役に立たない。自己を取り巻いて果てしな く広がる世界のどこをどう切り取るか、それをどこまでよく見、よく考え、よく味わうか、そういうほとんどその人間の生き方とも言えるものがそこにかかわっ ているからである。豊かな内容は深く生きることをとおして自然に湧き出るのだろう。

一方、どれほどすぐれた思考内容が頭のなかにあったとしても、それが直接人の心を打つことはできない。というよりも、言語の形をとることによって、 それがすぐれた思考であることがはじめて確認できるのである。その意味で、文章表現は半ば発見であり、半ば創造である。いい内容がいい表現の形で実現し、 いい文章になる。逆に言えば、すぐれたこtばの姿をとおしてしか、すぐれた内容というものの存在を知ることはできないのである。

1. 筆者は、読者のためにどのような文章を書けばよいと考えているか。




2. 筆者によると、いい内容はどうすることで生まれるか。




3. 内容と表現の関係について、筆者はどのように述べているか。




恐れてはいけないとか、不安を持ってはいけないとか言われることがあるかもしれない。しかし、恐怖や不安は、車にたとえればブレーキである。車の安全に とって重要なのはアクセルではなく、ブレーキなのだ。アクセルをふかしてスピードを出すことより、危険を察知してブレーキをかけて止まったり、スピードを 落としたりすることで事故は防げる。その意味で、ブレーキのない車を走らせることはできないのだ。われわれ人間も恐怖や不安という名のブレーキを使って、 自分たちの安全に役立てることが大切だ。
4. 筆者は、恐怖や不安をどうとらえているか。




「最新の意味が、辞書に載っていない、」とはよく言われることである。保守的すぎる、と。辞書は、その点、小回りがきかない。けれども、最新の意味を辞書 に載せたとたん、その意味が消えてしまったらどうだろう。その辞書は、もう使われもしない古い意味を載せていることになる。だから、辞書の編者は、新しい 意味が、日本語の中に、きちんと定着するかどうかを見極めている。保守的というより、慎重だと言ってほしい。
5. 「最新の意味が、辞書に載っていない」とあるが、なぜか。




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