JLPT N3 - Reading Exercise 68

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次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい、答えは、1234から最も適当なものを一つ選びなさい。

おじさんの中学生のときはどうだったろう。
 いたずら好きのAと仲良しだったときがある?野球のうまいBや、頭のいいCや、家が貧しいけれどマジメなDと仲良しだったときもある。でも、クラスが変わるたびに友だちが変わっていき、中学の三年間を通じて一人の友だちと深くつきあうことはなかった。Dとは夏休みにいっしょにアルバイトをやったりして「親友」みたいだったのに、いつの間にかつきあわなくなっている。
 これは、だれでもそうじゃないかと思うんだ。友だちは変わってゆく。その場かぎりのつきあいといえばいえなくはないけど、自分の求めているものが変わってゆくから、相手を自然に変えてゆくのだと思う。
 おじさんの場合、いたずら好きのAと仲良しだったときは、おじさんもいたずらがしたかった。いたずらをして気持ちがスカッとすることを求めていた。でも、いたずらではほんとうに気持ちがスカッとしないことにやがて気づいて、Aとつきあわなくなった。BやCやDについても、そのときどきにおじさんが求めていたものを、彼らがあたえてくれたんだね。意識したわけじゃないけど、そのときの自分の益のなる相手を求めて、つきあう相手がおのずと変わっていったのだと思う。だからといって、こうした相手を「友だち」と呼べないかというと、そうではないんだね。
 利己的のようだけれど、「友だち」というのは自分に「益」になる相手のことなんだ。その相手とつきあうことで自分が「得」をする。しかし、その「益」なり「得」なりの中身が問題なんだね。(中略)
 たった一度しかあわなくても、その影響が人生にすばらしく作用すれば、これは立派な「友だち」だ。実際には会わなくたって、たとえばその人のことをテレビで観たり本で読んだりしただけで、すばらしい影響を受けたら、これは「友だち」なんだね。
 もっとも実際に会わなければ、厳密には「友だち」とはいえないけれど、生きる上で心に影響を受ける相手とはそう何人も出会えるものではないことも、おじさんの経験から言える。
 しかし、自身がそれを求める心構えでいなかったら、中学生のときはおろか、一生「友だち」には出会えないだろう。

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1. 「中学の三年間を通じて一人の友だちを深くつきあうことはなかった」とあるが、それはなぜか。

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